湧玉宮本の祭りと囃子

 湧玉宮本は古くは浅間大社とゆかりが深いので社人町と呼ばれる地域でした。祭り実施の記録は文書として残っておりませんが、明治22年当時の祭り衣裳の写真から、既にその頃何らかの形で祭りが行われていた物と思われます。
 具体的な記述では村上氏の著作に明治44年の祭りに社人町が寺地と合同で「寿」を名乗り山車を借りて祭りを行ったという記述があります。
 その後大正4年の御大典に山車を新調しました。祭り組名は「湧玉御幸」を名乗りましたが、これは社人町と福住町(田宿)の合同でした。山車の飾り物は「諌鼓鶏(かんこどり)」という中国の伝説に由来する天下泰平の象徴で、また紋章は「御所車(八本源氏車)」と定めました。
 戦後の祭り実施が困難な時代には青年団主体のささやかな祭りのために山車は屋台に作り直され、可能な限り実施するというモットーの元に祭りの灯を守り続けました。
昭和30年代半ばから50年頃までの祭りの低迷期をなんとか乗り越え、市制40周年に当たる昭和57年に山車を復元しました。また平成9年には山車蔵を区民館前に建て、西門通りに彩りを添えています。


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